「イカとクジラ」は、ノア・バームバック監督が製作した2005年公開のアメリカのドラマ映画です。監督の彼が経験した両親の離婚をおかしくも、切実に描いた自伝的作品。アカデミー賞脚本賞にノミネートされました。
ネットフリックスやhuluで配信されています。
-
Santaアルク
リスニング力を短期間で伸ばす。無料で試してみる
-
スピークバディ
スピーキング練習で発音矯正!公式サイトはこちら
-
トーキングマラソン
スマホでできる英会話トレーニングアプリ2週間無料でお試し!
目次(クリックでジャンプ)
両親の離婚が子供たちに影響する
一家の大黒柱の父バーナードは非常に負けず嫌いで、わがままな小説家、兼ライティングの講師。しかし、そんな性格にもかかわらず、小説家としてのキャリアは落ち目でイライラしがち。
対して、母のジョーンは小説家として、作品がニューヨーカーに掲載されるなど軌道に乗り出していた。この人気に乗じて、彼女はスポーツタイプのいわゆる俗物の男と浮気しだします。インテリタイプの夫への当てこすりのように。
両親はこの悲惨な状況で離婚を選択し、別々に暮らすことに。両親のキャリアの明暗を映し出すように、母は豪勢な家に住み続け、父はボロボロの家に引っ越すします。親権はというと、半日づつに分けることにする。
母に似ている弟、父に似ている兄がグレはじめる
12歳の主人公の次男フランクは母と波長が合い、母と一緒に過ごしたいと感じている。また、離婚が影響してか、図書館で自慰をしたり、酒を飲んだり荒くれる。
一方で長男のウォルトは父と気質が似ていて、見栄を張りつづけます。「この作品カフカ的だよね」とかっこいいワードを散りばめ、気取った態度をとっている。その父と通じた性格のためか、離婚を母のせいだと非難して続ける。
父は離婚した後も、ひねくれた性格を改めるわけでもなく、さらに増長しているとさえみえる。父曰く「カフカは私の師匠だ」とか、人を学歴で判断し、テニスコーチを俗物だと、人を小馬鹿にして回る。自分は何年も売れない、鳴かず飛ばずの作家なのに。
長男ウォルトは、父の嫌な部分の性格が影響してか、上部ををつくろいまくる。いかに自分がすごい人物かを吹聴する。学校のレポートでも、有名なレポートをパクり提出してしまう。可愛くない彼女とのデートを、他人に見られたくないので手をつながない。とにかく他人にどのように見えるかを気にします。
母の成功の裏で、社会的に成功しない父が壊れまくる
時代背景として、男性が女性より稼いでいることが多い時代。今でこそ女性が多く稼ぐことはありふれた時代ではあるが、この映画ではその逆です。母が夫よりも稼ぎが多く社会的に成功しかけている。その状況が父の虚栄心をさらに増幅させたように思える。家族の大黒柱として、稼ぎで見栄をはることができず、人を蔑むことでしか自分の地位を誇示できない。
そのどうにかカッコつけようとする姿が観客の心をチクチクと刺す。父が行動が痛いけど、どこかくすぐったく、時にはボロボロすぎてクスッと笑ってしまう。彼のプライドが高くなればなるほど、反比例に悲惨なことが起きまくる。最後のシーンとか、父の境遇がイタくてダサくてクスッとしてしまう。
ウォルターが何かを思い立ち、博物館でイカとクジラの模型と対面する
ウォルターが最後何かを思い立ち、博物館のイカとクジラと対面するシーンは、この映画の題にもなっている印象的な場面です。このシーンは両親の離婚を経験しながらも、理解できなかったウォルターが二人を受け入れることができたシーンであるように思える。
私も確かに、子供の頃に母が恋愛すること理解できなかったし、父が稼ぎが少ないことも聞き入れられなかった。というのも、自分にとって両親は女性・男性である前に、母と父であったためのように思える。幼少時は特に、両親の人間的な面を排除してしまう。
人間である以上、恋愛はするし、失敗もするだろう。しかし、子供時代にこのような人間的な行いが子供である私には受け入れられなかった。母は女性である前に、私の母で自分を一番に思ってくれる存在として見ていた。父は稼ぐことができて、家庭を支える姿を期待していた。
でも、現実はみんな恋愛もするし、失敗もする。事業が失敗して、稼げない時もあるだろう。
成長するにつれて、いつからかそのような面を理解することができるようになった。そのことをウォルターが博物館でイカとクジラに対面するシーンで思い出してくれた。