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さあ、マウンティング世界へ旅にでよう。そこには格差や現代の闇が「ネオ・ヨキオ」(Netflix)

日本のアニメからインスパイアーされた、日本とアメリカ共同制作のアニメ。公開された当初はウィル・スミスの息子(ジェイデン・スミス)が声優を務めるなど、その声優の豪華さから注目されていました。

主人公は悪魔退治ができるカズ

カズがニューヨークのパラレルワールド「ネオ・ヨキオ」で、悪魔退治のナンバーワンになるために奮闘する。この能力は特別な能力で、選ばれた者のみが持っている。

この悪魔退治という使命の過程が描かれるとともに、彼の日常的な生活も描かれてます。現代社会の闇をおちょくりながらイジっていく。

「悪魔退治」というテーマだけだと、幼稚な物語にように感じらるかもしれない。しかし、エピソードの隅々にsnsによって肥大化した自己顕示欲や、格差が表面化している資本主義をチクチクと批判していく。

リッチなカズは現代の自己顕示欲の高い男よう

裕福な家庭の彼は豪勢な服を着て、いい女と付き合いがあるかを気にする、自己顕示欲の強い男。ワードの端々にハイブランドやかっこいいワードをちりばめ、自分を必要以上に大きく見せようとする。例えば、元カノの今の彼氏に過度な嫉妬を持ち、自分の方が社会的地位が高いと誇っています。

これは現代のsnsブームを皮肉的に表現している。昨今、snsで「いいね」の数を競い、自分を過剰に演出し発信すること表しているよう。

ヴァンパイア・ウィークエンドのシンガー「エズラ・クーニグ」がクリエイターを手がける

独特なキャッチーなサウンドで、pickforkなどの批評サイトで高評価されているバンド、ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラが本作に携わっている。

声優陣が必要以上に豪華!!

繰り返しになるがカズの声は、ラッパーや俳優で活躍中の「ジェイデン・スミス」。また、ロボット執事チャールズは映画「シャーロック・ホームズ」の出演などで知られる「ジュード・ロウ」が務める。

ご紹介します。汚い英語がいっぱいきける新感覚・アニメ「FはFamilyのF」

ネットフリックスオリジナルの作品「FはFamilyのF」は、マーフィー家族の生活をユーモアラスに描いています。一つのエピソードの中でもマーフィー家族が感情豊かに泣き叫び表現するので、騒がしくも心を揺さぶられる作品。

主人公は5人のマーフィー家族のお父さんビル。家長らしく時には怒鳴り時には泣き、家族を引っ張っていこうと奮闘する。

家族の口から汚い言葉が幾度となく発せられるが、どこか憎めない。家族のみんなが必死に生きていくためにぶつかり合いながらも、まっすぐに生きようとしているから。

ビルは短気で不器用だけど、家族のためによりよく生きるため、必死に食らいつく

マーフィー家は70年代のアメリカに暮らしていて、この時代のマジョリティの中産階級に属している。

ビルについて言えば、少し禿げてきていて少し短気。家の家長という役割を果たしながらも、職場では中間管理職として労働者と経営側との板挟みで四苦八苦。彼は時には経営者を神のように崇め、時には労働者の代弁者として経営者に刃向かう少し正義感がある男。

70年代アメリカの中産階級の生活感を味わうことができる

この作品を観ていると、70年代の雰囲気がそこかしこから香ってくる。当作品のクリエイターのビルは70年代の自身の体験を反映させていることを示唆している。この作品はリアルな70年代アメリカの生の体験から描いていると言える。

70年代の人種間の不平等だったり、当時のお酒やお薬事情など、女性の職場での不公平など、どれもセンシティブな話題だが、ブラックユーモアで語られる。どの話題も現状よりも、状況がひどく驚かされることばかり。

このような不正義がはびこる時代だったから、ビルの口うるさく汚い言葉を使いながら、子供たちをしつけていくスタイルも受け入れられていたのかもしれない。

今ではあまりみられない他の家族の前で大声で罵り合うことが、本当に起きていたことなのか疑問であった。

しかし、作品を観て社会背景を理解していくうちに、このような激動の時代に生き抜くために激しく罵ることが必要であったのかもしれないとさえ思えてきました。

以下の、Netflixの配信作品をあれこれご紹介!ネトフリのネタフリ Vol.1でも当作品が紹介されています。

F Is For Family: Season 1 [Blu-ray]

【秘ガイド】リックアンドモーティ|3神回・哲学・考察・英語・評価・解説

シーズン5の配信がはじまった『リックアンドモーティ(netflix)』。

そのストーリーの過激さから賛否は両論。

でも『リックアンドモーティ』はただ過激なだけではありません。

とっても哲学的なんです。オモシロイうえ、哲学的。

そこで当記事では、『リックアンドモーティ』の魅力をたっぷり紹介します。具体的には、『リックアンドモーティ』の神回・哲学回・考察を紹介します。

『リック アンド モーティ』は頭おかしい

『リック アンド モーティ』は頭おかしいです。とにかく、おかしいです。

物語はアルコール中毒の天才科学者のリックと、その孫のモーティのはなし。

リックがどのくらい頭が良いかというと、異次元にいけるマシーンをつくっちゃうくらいなんです。

マシーンをつくるだけではありません。なんでも願いをかなえるモンスター?(ミーシックス)をつくったり、だれでもホレさせるホレ薬をつくったり、おじいちゃんだけど若者に生まれ変わったり、なんどもヤっちゃう!

人間の頭にで思いつきそうなものなんでもやっちゃうんです。

なんでも願い事をかなえる点では、『ドラえもん』に似ています。でも明らかな違いがあります。

リック、倫理観・道徳観がまったくありません。皆無!

リック アンド モーティ】
・リックは天才科学者
→ 倫理観ナシ
→ よって問題おこりまくり
→ ブラック版『ドラえもん』

家族で約束してたカウンセリングをサボりたいがために、自分をキュウリに変えちゃいます(ピクルス・リックの冒険)。ですよね、意味わからないでしょう?

この放送コードのなさがウケている要因だと思います。刺激が強すぎるんです。

しかも、ただ過激なんじゃないんです。考えさせる内容、哲学的な内容も含まれています。

『リック アンド モーティ』のここがイイ!
→ 過激アリ
→ 哲学アリ
→ 笑いアリ

『リックアンドモーティ』の哲学回

『リックアンドモーティ』の哲学的なエピソードがあります。

『リックアンドモーティ』シーズン5エピソード2

例えば、シーズン5のエピソード2。

リックは天才がゆえ、敵によく狙われる。狙われたときのために、リックの家族を全員複製。

おとりとして何人もコピーをつくっているのです。しかも精巧に。

コピーの精巧さゆえ、「複製リック家族」は考え出します。「わたしたちは、コピー、それとも、本物?」と。本物らしくふるまうため、コピー達は自分が本物か、偽物かわからないのです。

どうです、遺伝子を操作することで、人間のコピーがつくれると言われる現代。作らないのは倫理的な問題から。

このエピソード、近未来で問題になりそうでしょう?

シーズン5のエピソード2にはエクスマキナのパロディも含まれています。そう、あのシーン。鏡の前で、自分がコピーじゃないことを証明するため、ある方法で確認するのです。

このように日本の地上波では、絶対に放送できない内容を描いているのが『リックアンドモーティ』の魅力。

過激、コメディ、哲学を含みます。おもしろいから、考える。考えるから、おもしろい、もっと見たい。このループ、みなさんもハマってみませんか?

『リックアンドモーティ』の哲学回
→ 人間のコピー問題を考えさせる

『リックアンドモーティ』シーズン3エピソード6

ほかにも『リックアンドモーティ』の哲学エピソードあります。

『リックアンドモーティ』シーズン3エピソード6の「解毒と浄化で超健康」というはなし。

心をデトックスしちゃう回。イヤな気持ち、恨み妬みもすべて、デトックスしちゃうんです。デトックスした後は、リックもモーティーも生まれ変わったようにイイ人に生まれ変わる。

悪口・文句いいません。言うなら、すべての自己啓発本を合体させて、具現化させたような人間になるのです。あの倫理観ナシのリックが!

考えさせるのはこの点。そもそも自己啓発本のような人物って信用できなくないですか?ウサン臭いですし、オンラインサロン開いてそうですし、めちゃくちゃポジティブシンキングしてそうだし…。

自分の弱いところをさらけ出し、たまにはネガティブシンキングもする、そっちのほうが人間らしくありません?

そうなんです、欠点があるほうが共感できやすいんですよね。人間味ありますし。

『ドラえもん』の出木杉くんにはまったくなのに、のび太には異常に共感できちゃう現象に似ているかもしれません。

『リックアンドモーティ』シーズン3エピソード6
→ 「完璧な人間って、良いのか?」を考える

→ 弱みがあった方が、人間っぽくない?

『リックアンドモーティ』の神回・考察

『リックアンドモーティ』の神回・考察を「3選」を紹介していきます。

『リックアンドモーティ』シーズン1エピソード5

ひとつは、『リックアンドモーティ』シーズン1エピソード5の「ミーシークス」のはなし。

この回、バイリンガルニュースのマミさんも紹介していたくらい話題のエピソード。

物語は、リックがミーシックスという、なんでも願い叶えるモンスター?を作ることから展開していきます。ミーシックスはかなり優秀。願い叶えまくるんです。

学校で人気者になりたい、開かないフタを開けるまで、なにからないまで願い事を叶えちゃいます。

でも困ったことにリック家族イチのヘタレ、ジェリーの願いごとだけ叶えられません。

理由はジェリーがヘタレすぎるから。でもそのヘタレさがいとおしいんです。でもそのヘタレさに怒り狂うのがミーシックス。

だって、ミーシックスの存在意義は「願いを叶えること」。存在意義を踏みにじる存在、ヘタレのジェリーへの憎しみがどんどん増幅していきます。

このミーシックスの怒りに対処する方法はただ一つ。ジェリーの願いを叶えること。

ジェリーがどのように臆病さを克服していくかが見所といえるでしょう。

『リックアンドモーティ』シーズン1エピソード5
→ ヘタレのジェリーのカッコいい姿が見れるかも

『リックアンドモーティ』シーズン2エピソード6

『リックアンドモーティ』シーズン2エピソード6、「スペースカーとミクロ宇宙」もおすすめ。

リックの車が故障し、その原因を探るために、車の内部に潜入することからストーリーは進んでいきます。

車の内部にはなんと、地球のように生命体が住むミクロ宇宙が広がっていました。

故障の原因は、この生命体が働かずに、車にパワーを送らなかったため。そうなんです、道徳観なしのリック、生命体の労働を搾取して、それを車のエネルギーにしていたのです。ネクストステップ奴隷制度です。

寓話的ではありますが、かなり考えさせられるエピソードです。

しかもミクロ宇宙のさらに下の階層にも、ミクロ・ミクロ世界があります。不条理な世界がつらなっていたのです。

『リックアンドモーティ』シーズン2エピソード6
→ 奴隷制度について考えさせられる

『リックアンドモーティ』シーズン3エピソード3

『リックアンドモーティ』シーズン3エピソード3、「ピクルス・リックの冒険」もおすすめ。

家族カウンセリングをサボりたいリック、なぜかキュウリに変身。

その呆れた変身に家族はため息。家族はリックを置いて、カウンセリングにいっちゃいます。

リックはキュウリ。手も足もありません。

猫にいたずらされ、キュウリのリックは排水溝に吸い込まれていくのです。

排水溝にはゴキブリ、ネズミがうようよ。天才リックは知恵をしぼり、悪戦苦闘しながらも戦います。カウンセリングに戻るという気持ちも芽生え始めるのです。

『リックアンドモーティ』シーズン3エピソード3
→ カウンセリング嫌いなリック
その理由がわかる!

【口コミ】『リックアンドモーティ』はつまらない?

『リックアンドモーティ』はつまらない、と言った口コミもあるようです。

その過激さや、ブラックコメディには賛否もあるでしょう。

でも前述したように、ただ過激なだけではありません。あたまを柔軟に働かせるようなエピソードがたくさんあります。

前述した、神回3つは『リックアンドモーティ』がはじめてのかたもわかりやすい内容。この3エピソードから『リックアンドモーティ』を好きになっていただけたら嬉しいです。

『リックアンドモーティ』を見る方法

『リックアンドモーティ』を見る方法を紹介。現在みられるのはネットフリックス(Netflix)です。

『リックアンドモーティ』は英語学習にも○

『リックアンドモーティ』は英語学習にもつかえます。Netflixなら英語と日本語字幕を同時に表示できますから、かなり効率的!

『リックアンドモーティ』をつかった英語学習方法については、【netflixアニメ・英語字幕】3倍わくわく英語学習法|同時字幕・cc字幕を参照ください。

初体験。これが、中年の馬がおちぶれる姿 「ボージャックホースマン」(Netflix)

中年オヤジの嫌な部分が詰まったようなボージャックホースマン

ボージャックホースマンは自己嫌悪が強く、アルコール中毒で人と親密な関係が築くことができない馬の俳優です。そんな彼の悲哀のある生活を、ユーモラスに描くネットフリックスオリジナル作品。

シーズン1において、彼の気がかりは彼が主役の昔の作品「馬鹿騒ぎ」を見ることだけ。そんな忘れ去られたハリウッドの落ちぶれたスターを笑いを交えて、時には皮肉的に描いています。

そんなボージャックはどこか斜に構え、社会を批判的に観察している。他の人に対しても、皮肉を込めて嫌な受け答えを繰り返す。そんな皮肉屋の彼を見続けると、どこか憎めなくむしろ愛着さえ抱いてくる。彼の哀愁ある仕草がその原因なのかもしれない。

ボージャックはステレオタイプな中年白人そのもの、顔は馬だけど

彼を見ていると、現代のステレオタイプな中年の白人のよう。彼は中年太りでベルトにおなかがのっていて、夢や希望もなく恋愛にもどこか冷めている。

しかし、見た目や中身は中年おじさんのようだが、頭は馬。視聴を続けていると、様々な動物がホースマンのように話すが、もはやそのようなことは気にならなくなってくる。

なぜなら、顔は動物だが、中身は私たちの周りにいる、どこにでもいる人たちだから。またなぜ馬や猫などの動物が話すのか?などについてはほとんど言及されない。視聴を続けていると、人種が違う人たちが暮らす現代アメリカを描写しているようさえ感じられた。

英語の勉強にもオススメ

英語のスピードはナチュラルで早すぎなくて英語の勉強に向いていると感じました。また、様々なキャラクターが登場するので、使われている語彙も幅広くカバーしている。

私はこの作品をシャドーイングして、英語力が飛躍的にアップしました。ネットフリックスは英語字幕があるので、勉強しやすいですよ。

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Netflix「鑑定士と顔のない依頼人」。極上の謎解き映画!!本物と偽物を判別できますか?

あらすじ(予告編の範囲内にとどめます)

審美眼をもつ鑑定士の主人公は淡々と仕事をこなし、天才的な鑑定眼をもち、オークション鑑定士としての評価を不動のものとしている。
彼は今まで、女性を愛したことがなく、生涯愛してきたのは肖像画だけだった。家には自慢の肖像画のコレクションがあり、椅子にかけてそれを見渡すのが彼の楽しみであった。

彼は長年の鑑定士としての仕事ぶりを誇りにも思っていて、教養も豊かなため、言葉の端々からおごりがみえる。そんな彼は世間では堅物のような存在と写っていて、孤独な変人と評されていた。

そのような日々に、ある時変化が訪れるのだった。

ある日、孤独な鑑定士に妙な依頼が!

しかし、ある日いつもとは少し異なる人から家の遺品の鑑定を頼まれる。ここがストーリーの転換点なるのだった…

異なる点は、鑑定の依頼人は他人に自らの姿を全く見せない女性の存在。この依頼人は広場恐怖症で、大きな家の壁で覆われた部屋で小説などを執筆することで生計を立てていた。また、部屋に他人が来ると、部屋に閉じこもり、壁越しでしか会話をしない。決して、他人に姿を見せない。

なぜ、彼女は姿を見せないのか?彼女の生い立ちが関係しているのか?謎は深まるばかり。

いつもとは違う依頼人のミステリアスな雰囲気が鑑定士を変える

このような、不思議な雰囲気も相まって、鑑定士はその存在を知りたい、見てみたいという欲求が高まっていく。その欲求は彼女に対する恋へと変貌していくのだった。長年鑑定を行い、経験と教養が豊かな鑑定士が、果たして恋の分野ではどのように生かされるのか?またどのように彼女の恐怖症を受け入れ、対処していくのか。

天才的な審美眼をもつ彼が、恋に目覚めた時何が起こる?

私は映画を観る過程で次はこのような展開になるのではないかと予想しながらハラハラしながら観ましたが、見事に裏切られました。予告編で「極上のミステリー」とうたい文句を使っていたが、まさにその通り。

英題は「The Best Offer」

謎を持つ彼女からのオファーは本当に英題の通りベストだったか。数々の鑑定を行い、偽物と本物を判別してきた彼が、彼女の謎を解き明かすことができるのか。この映画をみて謎解きをしてみませんか。

Netflix「資本主義の救済」。格差は日本にも迫っている。格差は誰のせい?

目次(クリックでジャンプ)

あらすじ

富裕層と貧困層の格差が拡大しているアメリカの現状に迫っていくnetflixオリジナル映画。アメリカでは所得上位1パーセントの人々の給与がますます増加し、他の人々の給与がますます減少している。アメリカの繁栄をもたらした中産階級の割合が減少し格差がさらに拡大していることを、この映画は様々な面から語る。

映画のキーパーソンであるロバート・ライシュがアメリカの現地で人々と対話していくことでストーリーは進む。
彼はクリントン政権で労働長官を担当していたが、任期中多くの障害があったため格差問題を解決をすることができなかった。彼はこの失敗体験を糧に、アメリカの様々な現地の人々を対話を通して、この問題の現状と解決策を模索していく。

この映画の題材である所得格差は世界的な問題でもあり、日本においても近年進行している課題。これに対して、どのように対峙していくべきかの視点を得る契機になると思う。

感想

ロバート・ライシュは考えが異なる人々と話し合うことが重要で、格差を変革するためには投票して徐々に変えていくことしかできないと語っていた。確かに、このような地道な行動を重ねていくことは重要であると思う。

また、この映画では、格差の原因は、所得上位者と上位の企業が政治家に献金し、自らの企業が儲けやすいようにルールや法律を修正しているためだと示していた。この不正に対して、国民が自覚してなかったことも不平等が拡大していった原因であるように思える。国民がこの企業の不正を監視し自覚していくべきと感じた。そして、自覚する人々の割合が増え、投票行動が変化することによって、政治家は格差解消に動いていくだろう。

【映画「デトロイト」】警官は力がある。だから、レイシストだったら、ヤバくない?

簡単なあらすじ(予告編でわかる範囲にとどめます。)

1967年に実際に発生したデトロイトの人種差別の暴動を元に作られている。さらに映画はこの暴動の最中に、アルジェ・モーテルで起きた事件にフォーカスを当てる。

アルジャ・モーテルには若き日のドラマスティックスのメンバーも宿泊していた。暴動の最中とあっても、その喧騒と離れモーテルの中で余暇を満喫していた。しかし、宿泊しているある人物が遊び心で、窓から暴動を警備している警官に向けておもちゃの銃で発砲してしまう。

この出来事が引き金となり、モーテルの宿泊者は警察から悲惨な尋問を受けることになる。人種差別の意識と警察官という職が尋問をさらに酷く加速させ、負が連鎖していくのだった。

オスカーが期待されているウィル・ポールターの演技に注目!!

差別主義者を演じるウィルポールターの会心の演技が恐ろしくゾッとする。警察官としての職権を乱用し、眉毛を釣り上げ暴力を振るう様はひどく生々しい。鑑賞中、無意識に緊張しヒリヒリした肌の感覚を覚え、彼に対しての憎悪が増幅していく。それほど、彼の演技は生々しく憎たらしい。

インタービュアーが彼に対していつもはナイスガイだけど、ことこの映画を観た後は彼を殴りたいと言っていたのには、私も同意せざるおえない。いやらしほど憎たらしい演技でした。

実際にあった事件を題材に作られた映画

実際の当時の映像も挿入され、現実感が増す。
日本に住んでいると人種的な対立に遭遇することはアメリカほど多くない。しかし、アメリカでは現在も進行している根深い問題で、白人警察が無実の黒人を発砲している映像が頻繁に流されている。

この映画が元にしている事件は50年前のものだが、それは現在も解決することができていない問題。
そして、移民を受け入れの議論が活発にされ、ヘイトスピーチが裁判された日本おいても通じる問題であるように感じる。

この問題は他の映画にも繋がる

例えば、「ニーナ・シモン 魂の歌」でも彼女はライフワークとして公民権運動に熱を入れていた。なぜ、彼女が歌手として成功していたにも関わらず、これほどまでこの活動に力を入れていたのかをデトロイトを鑑賞後だとさらに理解できる。

また、「殺人者への道」というドキュメンタリー映画でも警察は職権を乱用し、平気で証拠を捏造する。警察という職業は強制力を伴っているため、ときに正義を振り回し人間の悪のサイドをも発露させてしまう。デトロイトのシーンでも警察という職業は、個人が持っていた人種差別的な思考をさらに加速させ、黒人に対する違法な尋問や証拠捏造までつながる。

さらに「13th 憲法修正第13条」という映画でも示されたように、犯罪者として収監されている囚人に対する黒人の割合は40パーセント以上です。現在のアメリカの人口における黒人の割合は6パーセントぐらいだと言う。この人口割合から見ると、黒人囚人の割合は驚くほど高い。これは、デトロイトでも映し出されたように、根底には人種差別の意識が原因であるように感じる。

“才能がある、だから、わたしはかなしい” 映画「ギフテッド」

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雑感

舞台がフロリダということもあり、海と少女と親の仲睦ましい光景が調和して、色彩が鮮やか。また、子役のメアリーの演技が素晴らしく、特にしかめっ面が圧倒的可愛さで、心が洗われました。まさにザ・ガール!

ストーリーはオーソドックスでリズムが良くあっという間に上映が終わったと感じた。しかし、テンポが良すぎて、展開を読むことが多少簡単であったように思えた。

それを含めても、子供が天才が故に、その子のためと思い、色々な人の価値観が交錯する示唆に富む映画だったと思う。

教育方針が対立する

この映画は祖母と叔父の子育ての方針の齟齬が多く描かれていた。祖母であるイブリンは天才少女であるメアリーにレベルに合った教育を施してあげたいと考えていた。一方で叔父であるフランクは一般的な子供のように生活させてあげたいと主張している。

確かに、天才少女に「1+1』や「3+3」など一から教えるのは、中身がないよう思える。

一方で、天才だからといって、学力に伴ったレベルの学校に通ったところで、年齢が10歳以上離れた人たちと会話し、友達を作ることは難しい。私自身、子供の頃の思い出として「友達と森を探検した」とか「友達とミニ四駆を走らせた」というような、友達と過ごした光景が蘇ることが多い。数学は後年に勉強できるが、このように子供時代にしか経験できないこともあるように思える。

感想

どちらの考えも理解できる。

しかし、この点天才少女であるメアリーの視点をうまく汲み取れてないように感じる。『メアリーはどのように学びたいのか?、メアリーはどのように生活したいのか?、メアリーにとって何が将来役に立つだろうか?』。メアリーは数学の能力という一点では秀でているが、他方、子供であるためそれをうまく言語化する術を持っていない。

親が子供ためにこうしてあげたいという考えの濃度が高すぎて、濁っているように思える。
そのため、親は絶えず言語化の能力が乏しい子供の視点に立ち、考えを汲み取る努力をしなければならないと感じる。この際、子供の視点だけでなく子供は長期的な視点を持ち合わせることが難しいので、親の視点でも「何が子供の将来にとって有用な選択か?」を考えてあげなければならない。

どちらの視点の濃度が高まりすぎても、時として濁りすぎて有害になってしまう。両者をかき混ぜて中和し、いい塩梅を模索し、刷新し続けることが不可欠であると感じた。

映画の結末としては、メアリーは学力にあった学校に通い、放課後は公園へ行き、同じ年代の子供たちと遊ぶことになった。そして、メアリーは一緒に暮らしたいフランクと共に暮らしていくことに。子供と親のどちらの立場を内包した、最良の結末になったと思えた。